2度目のドイツ(1) 英語恐怖症からドイツへ

ニューハンプシャー州のキャンプ場での短期雇用を終え
アメリカから帰国した翌年の1972年、
今度は、ヨーロッパに行きたいと思うようになった。
私の英語がアメリカで通じなかったことで英語恐怖症になり、
ドイツ語を学びたいという気持ちが大きくなったからだ。
ニューハンプシャー州のキャンプ場での短期雇用を終え
アメリカから帰国した翌年の1972年、
今度は、ヨーロッパに行きたいと思うようになった。
私の英語がアメリカで通じなかったことで英語恐怖症になり、
ドイツ語を学びたいという気持ちが大きくなったからだ。
ミャンマーがまだビルマと呼ばれていた頃、
当時、新規プロジェクトを立ち上げろと
上層部からのプレッシャーが強くあり、
我が部の部長、課長も必死になって新規案件を探していたところ、
タイを担当する社員からタイの客先からの紹介で宝石を買い付け、
加工して日本で販売したらどうかとの提案があった。
いつでも、どこでも、なんでもという商社の精神に則りこの話にのり、
若手の私が、タイへ宝石の買い付けへ行くことになった。