三軒茶屋の天邪鬼


1960年、わたしが10歳の時、
親の仕事の都合で東京・三軒茶屋へ移り住んだ。

すでに東京が1964年のオリンピックの開催地として決まっていた時で、
三軒茶屋に隣接する駒沢ではオリンピック第二会場などの
再開発がすごい勢いで行われていた。

当時の三軒茶屋には、満州や朝鮮からの引揚者のための
バラックのようなアパートが林立していた。
そして、それらのアパートには朝鮮から戻ってきた日本人なのか、
朝鮮から日本に移り住んだ人なのかはっきり分からなかったけども、
気性や素行の荒い人が多く住んでおり、
小学生の私でも物騒であることが感じられる町だった。

転校した三軒茶屋の小学校では
東京の子どもたちからは金沢から来た田舎者とからかわられ、
朝鮮人の子どもたちからは日本人としていじめられた。
兄がかばってくれることもあったが、
学校が終わると逃げるように家に帰っていた。

今では、三軒茶屋といえば東京でもとくに人気エリアだが、
かつての三軒茶屋はオリンピックによる開発が進むエリアと、
戦後の影を色濃く残す部分をあわせ持った混沌とした街だった。
そして、私のちょっと天邪鬼な性格というか、
社会を斜に構えて見る姿勢はかつての三軒茶屋で形成されたのかもしれない。

医療法人社団 映寿会
社会福祉法人 中央福祉会

理事長 北元 喜洋