日独青少年交流交歓学生(1)



※ミュンヘンなどドイツの各地で開催した「日本の夕べ」の写真と、 私の参加した日独交歓学生のことが記事となった当時のドイツの新聞


東京でオリンピックがひらかれ、大阪で万博が行われたあとの1970年、
二十歳の時に「日独青少年交流協会」の交歓学生としてドイツに行った。
日本のGDPがドイツを上回り世界で2位となる1972年の直前のことだ。


その交歓学生は各県一人という規定があり、
選抜試験をパスした者だけが交歓学生になれた。
また、その試験を受験するためには有力な推薦人が必要であり
多くの受験生が各県の国会議員に推薦のお願いをしていた。

私も親の取り計らいで石川県選出のとある議員さんに
お願いをするために緊張しながら議員会館に伺った。
当時はまだ30代の1期目だったその議員は、
いろんなことに興味があるようで、私はいろんなことを質問された。
そして、選抜試験の結果、総勢150人が選抜され、
その年は石川県から3人の交歓学生が選ばれ、
私もその一人になることができた。

ドイツに渡る前に、交歓学生には
日の丸のついたブレザーやバッグが支給された。
出発前には、代々木オリンピック村で
全国の交歓学生が参加する3泊4日の合宿が行われ、
毎朝国旗掲揚と国歌斉唱をさせられ非常に戸惑った。

そして、当時最新鋭のDC8をチャーターした航空機でドイツへ。
到着してまず、ハイネマン大統領の官邸で行われたパーティーに出席した。
その後、6班に分かれ1ヶ月間ドイツの各地域をめぐった。
各地では「日本の夕べ」という交換会が開催され、
折り紙をつくったり、日本の歌を歌ったり、
柔道の型を披露するなど、日本文化の紹介をした。
当時はそれぐらいしか、日本を紹介するものがなかったのだ。

私のグループは「隅田川」の唱歌を歌い、私はアルトを担当した。
そして50年近く経った今でも「隅田川」の低音部を歌うことができる。
もし機会があればご披露したいと思います。

医療法人社団 映寿会
社会福祉法人 中央福祉会

理事長 北元 喜洋