アメリカでの希望と挫折(1)

※キャンプ場でテニスを指導した子どもたちの写真



ドイツに交流交歓学生として渡った翌年の1972年、
アメリカのキャンプ場で3ヶ月間ほど働いた。


当時、ベ平連のリーダーでもった小田実氏が記した
海外旅行記「何でも見てやろう」の影響もあり、
働きながら海外を旅行しようという若者が多く、
海外での短期間の働き先を紹介するプログラムがあった。

東京の警察署で無犯罪証明をもらい、
短期労働のビザを取り憧れのアメリカへ渡った。
当時のアメリカ製の食品や服、車などは
海外製品のなかでも一番レベルが高く、
多くの日本人がアメリカへの憧れをいだいていた。

渡米した私は、ニューハンプシャー州のCamp Quinabargeという
アメリカとカナダの国境近くにあるキャンプ場で
子どもたちにテニスを指導し、
月300ドルを稼ぎながら子どもたちと寝食をともにし生活した。
アメリカでは、子どもの英才教育のために
夏休みになるとキャンプ場などの施設に子どもを預けることが多く、
いくつものキャンプ場が存在し、各キャンプ場が特色を打ち出していた。
私が働くこととなったキャンプ場は、
海外インストラクターがいることを売りとしており、
子どもがキャンプに参加するには当時の金額で3,000ドル、
現在は9,000ドルが必要になる。

キャンプ場での会話はもちろんすべて英語なのだが、
時には英語ではうまく伝えることができず、
交歓学生時に覚えたドイツ語を使って話すこともあり、
英語が得意だと思っていた私にとってはショックなことだった。

キャンプ場で働き始めて数週間ほど経った頃に、
私と同じキャンプ場で働くフランス人が風疹にかかり、
1週間ほど二人で隔離して暮らすことになった。
さらに、運が悪いことに大雨に見舞われ、
洪水となりキャンプ場と寸断される事態も経験した。
だが、そのフランス人と1週間ほど生活をともにしたことで、
フランス人の歴史や文化的価値観が日本人と近いことを知ることができた。

医療法人社団 映寿会
社会福祉法人 中央福祉会

理事長 北元 喜洋