アメリカでの希望と挫折(3)


私がアメリカに渡ったその年に、
香港の人気俳優であったブルースリーが亡くなった。
そのことで、ボストンからサンフランシスコへ向かう先々で、
「ブルースリーが亡くなったぞ。」と何人もの人から声をかけられた。


おそらく当時の多くのアメリカ人は、日本人という概念が薄く、
日本人であろうと、香港人であろうと、
ひとくくりで東洋人という認識で捉えていたのだと思う。
多分アメリカ国民に広く認知されていた日本人は、ほぼ皆無であった。

そして、2週間かけて5000kmのアメリカ大陸を横断し、
サンフランシスコに到着した。
当時は国際便の飛行機に乗るためには、
飛行機に搭乗する3日前に予約確認をする必要があり、
私は直接JALのオフィスまで行って確認手続きを行った。
JALのオフィスのすぐ近くにはパンケーキ店があり、
そこで私は人生初のパンケーキを食べ、
日本の喫茶店などで出されるホットケーキとの違いに驚きを覚えた。

今はパンケーキなど当たり前であるが、
当時の私にとっては宝物の様に感じられ、一口一口噛みしめて食べた記憶がある。

日本へ帰る飛行機に乗るためにサンフランシスコ空港に着き、
あと海を越えさえすれば日本だと考えると、自然と涙がこぼれた。
豊かさに憧れてアメリカに来たはずだったのだが、日本が懐かしいというより、
日本がまだまだ豊かでないことを思い知らされ、
又、アメリカの巨大な力に打ちひしがれた敗北の涙だった。

そして、ようやく無事に成田空港に帰ってきた私は、
アメリカでの色々な失敗や、アメリカに完敗したおかげで、
3ヶ月前の自分よりも精神的に少しは成長したのではないかと感じた。

あれから50年の歳月が過ぎ、日本は豊かな国となった。
私たちが若い頃は、負い目を感じながら海外を旅したものだが、今はちがう。
日本人として尊敬もされる。
若者たちはもっと胸をはって堂々と自信を持って世界を旅して欲しいと思う。
そして色々なことを謙虚に学んで欲しい。
そして大きな希望を持とう。

人生は希望と挫折の繰り返し。
多くの挫折が豊かな人生を育んでくれる。
もっと挫折しよう。

医療法人社団 映寿会
社会福祉法人 中央福祉会

理事長 北元 喜洋